約1300年前、中国・唐の時代に、ある猟師が足の痛みに悩まされて孫思邈(そん・しみょう)の治療を受けていました。孫思邈(581-682)は、後世の人から『薬王』と呼ばれてきた医薬学家です。
針と薬を併用して2週間ほど治療を続けていたのですが、猟師の足の痛みはなかなか良くはなりませんでした。
そんなある日、孫思邈が神経を集中させて猟師の痛む足を触診していると、猟師が突然、
「阿(あっ)、痛い!痛い!」
と叫びました。
「ここが一番痛いのですか?」
そのとき、孫思邈が尋ねると、猟師は、
「是(はい)、是(はい)」
と答えたのです。
このとき、孫思邈は一瞬のうちに閃めいて、すぐさまその手に針を持ち、猟師の足の痛いところ(痛点)を針で刺しました。さらに、孫思邈は刺した針で妙法を用いた後、針を抜くと、猟師の足の痛みはすぐに消えたのです。痛みのとれた猟師は、孫思邈に何度も何度もお礼を言いました。
しかし、孫思邈は、
「いや、違いますよ。あなたと私が力を合わせて医書に書かれていない未知なるツボを発見したのですよ。この痛点を『阿是穴(あぜけつ)』と呼びましよう。」
と答えたのです。
このように、患者と医家が協力して発見されたツボが意外に多いのです。
「阿是穴(あぜけつ)」は、「以痛為輸」(痛みをもってツボとなす)、つまり「痛いからツボ」なのであり、「阿是穴」はこれ以来、ずっとこのように呼ばれているので「不定穴」あるいは「天応穴」と言われることもあります。
唐の時代の文献には、さらに「阿是穴」に関する記述があり、「阿」は「痛み」を指すがゆえに「阿是」は「痛是」なのであり、人体の表面にある圧痛点なのです。
これが「阿是穴」の由来です。
孫思邈は、のちに『千金要方』という古典医書にこの「阿是穴」に関する記述を書き記しました。「阿是穴」は、このようにして広く世の中に伝わってきたのです。